というわけで各所で話題の『あたし彼女』を読んでいます。

携帯小説』がひとつのジャンルとしてメディアで紹介されるようになり久しいですが、また話題に上がってきたこれが、また何やら異彩を放っているという事で、良くも悪くも物書きやってる僕も興味が沸き、こうやってひだまり最終話を待ちつつ読んでます。
 
まだ序盤60P弱しか読んでいませんが、なるほどこれは確かに異彩です。
一行が短くなる携帯端末ではもしかしたら読みやすい字数なのかもしれませんがパソコンだと慣れるまでが本当に大変。
 
んでちょこちょこ読んでいて思ったのは、これを既存の携帯小説と比較してはいけないって事です。
ああ、と言っても、
「侮るな! これは内容が面白いんだ!」
という意味では無いです。読みきってない以上内容については当然ながら言及しようがありません。
 
ではどういうことなのかを説明します。
 
今まで僕が読んでみた携帯小説は、それこそ『小説』とついているだけあって、技法はともかく体としては小説の形を保っていました。
しかしこの作品『あたし彼女』は上でも書いた通りの書き方で、最早その形すら残ってはいません。
  
とこんな事いっても小説に形があるのかと言われると、確かにそうではないですけどね。
俳句が5・7・5で構成され、短歌が5・7・5・7・7で構成されるという一定の韻を、小説は持っていません。
でも多分にして皆が持っているイメージとしての『小説』とは、一つのシーン、一つの出来事を改行を置かずに連ね、何か場面場面におけるタイミングにて行を改め、時として台詞が挟まる事で全体的なリズムを取っているものだと思います。
 
そういう意味では『あたし彼女』は割とその点、小説というか文章としての崩壊がなされています。
 
僕はこう考えます。
それは、
「これは『文』というよりも、『漫画』に近いのではないか」
という事です。
漫画で『文字』を読ませる部分は、それこそ擬音等もありますが、主たるパートは『吹き出し』です。
吹き出し』については説明不要だと思いますが一応補足すると、キャラクターがそれぞれ発する言葉だったり、思っている内容を文字化したものです。
そしてそれはコマ内にキャラクターの絵と同時に収める必要がある性質上、スペースは多くとれません。
その結果吹き出しの中の文字というのは、文章的に見てもかなり歪な改行をされているケースが多いです。
(まぁセンテンス途中で改行したりのような事は流石に見た目的にも宜しくないので避けられていますが)
その表現を思い出すと、この書き方は意外にもシンクロしている部分が少なくなく感じられます。
これは技法というにも拙いですし、そもそも作者自身がそれを意識しているとも思えませんけどね。
しかし僕にはそう感じ取れました。
 
そして途中、2行で改ページさせたりする書き方をしている箇所があります。
これも漫画の技法でよくあるものです。
書き手が読み手に伝えたい、印象づけたい台詞では、コマを大きくとられますよね。
時には1ページ全体であったり見開きであったりすることで強調されます。
意味合い的には同じものです。
キーワードを端的に伝える一番簡単な方法ですね。
これについては僕も自身の作品でよく使ったりしますw(特にラストとかで)
 
以上2つの点から、この作品が持つ魅力というのは、文字をじっくり読む期会が少ない、もしくはそういう事に慣れていない、極端にいうと小説を読むのが嫌いな人にも親しみ易い調子になっていることでは無いかなと思います。
 
そうやって読むと、作品の方向性、場面の切り替わるリズム、そしてキャラクターの性格もどことなく分かり易く漫画的だと感じますしね。
だからなのか、小説だと読み落としが後々に響く事も決して少なくは無いですが、これについてはざっと流して読むだけで雰囲気は十二分に掴めます。
 
まぁ長々高説しておいてアレですが、だからと言って簡単に、
「この書き方は全くもって新しい! 新しいってことは素晴らしいことだ!」
というつもりも無いです。
小説が小説として今まで保っているのはそれが小説だからです。
 
とりあえず作品読み切ってないので内容に殆ど触れず自分の考えをレビューしてみました。
果たして思ったことを書いただけのこれをレビューというのか。
レビューというにもおこがましい。
感想文でももっといいものがある。
 
結局、
「こういう書き方も生まれる時代なんだなぁ」
と嘆息しました。
現段階でそういう『インパクト』を読者に与えたという面では、この作品は僕にとっていい刺激になったと言えますね。